杉原千畝・命のビザで9千人ものユダヤ人救出 [日記]
本日、映画「杉原千畝」を見てまいりました。
1940年頃にリトアニアで駐在されていた外交官の方であります。
その時代にナチス・ドイツのゲルマン民族至上主義を掲げたヒトラー政権によって
収容所に強制連行され虐殺されていたユダヤ人が、他のヨーロッパ諸国に亡命していたのですが
リトアニアもその行き先のひとつでありました。彼らユダヤ人にとっては、一刻も早くヨーロッパ
諸国がナチスドイツや、のちにドイツと敵対することになるソ連の占領下に置かれる前にヨーロッパ
を脱出せねば虐殺されてしまう運命にありました。他国に逃れようにもビザが発給されていなければ
国境を渡ることができません。そのユダヤ人難民たちに救いの手を差し伸べたのが杉原千畝さん
だったのです。杉原千畝さんは、外務省から許可がおりていないにも関わらず独断でそのユダヤ人難民たちに日本を経由してアメリカに亡命させるためのビザを発給し続けました。それは杉原さんが、ソ連に命じられて立ち退きをする際にのった電車が出発する駅のプラットホームでも行われていたのです。
外務省の命令に背いて大量のユダヤ人を日本に送ったために、杉原さんは外務省を追われる身となります。9千人の命を迫害から救ったのにも関わらず、外務省は杉原さんを免職いたしました。しかし、正しいことをした人の行いは必ず報われます。杉原さんリトアニアでビザを発行してから28年後、1968年に自らビザを発給して命を救ったユダヤ人のニシュリという方と再会を果たしました。ニシュリさんは杉原さんから発行された一枚の紙きれ、ビザを大切にそれまでとっていたのです。二人は涙の再会を果たし、翌年の1968年に杉原さんはユダヤ人国家・イスラエルに招聘され「諸国民の中の正義の人」という勲章を頂きました。これは一人でも命を救った人に贈られる勲章であり、日本人としてその勲章を贈られたのは杉原さんしかいません。
アメリカの大学に5年間在籍し、世界平和のために貢献していきたいという思いで
国際政治をひたむきに勉強し、バングラデシュでインターンをしてフランスで留学
していた経験から、どうしたら日本人として他の国々のために行動していけるのだろう
と考えていました。
昨年の2015年5月に大学を卒業して、日本に帰ってきてからは国際政治に関する情報収集も
もっぱらやっておらず、日本での生活に慣れ切ってしまったのかドラマを見たらバラエティを見たり
と生活しておりました。決してそれをすることが悪いということではなくて、私にとっては
それまでの熱意を少し頭の片隅の奥のほうにおいてしまっていたために、どうしたらお金持ちに
なれるのか、とかどうしたらもっといい暮らしができるのだろうか、とか考えていました。
今回映画を見たことで、自分が何を成し遂げたいのか。どういった力を磨いてどのようにして
世界平和のために貢献していけるのか、改めて再認識いたしました。できるだけ多くの時間を、偉大なる目的の達成のために割いていかねばならない。自分にとって最良の決断をしていけるように磨いていかねばならない。
現在は、情報セキュリティを扱う技術者として仕事をしています。
まだまだ見習いですが、その業界のこれからの可能性と、自分が高校時代に人生の師と
した「皆が安心して暮らせる社会を作りたい」と心に決めたことを達成するために選びました。
これからの時代はすべてのものがITにつながれていく。
パソコンや携帯だけじゃなく、いまや車も、性能はまだまだであるがロボットも開発されている。
下町ロケットで取り上げられていたように人工心臓といった機器が体に埋め込まれ、またそれが
さらに小型化された機器が体内に入っていくことであろう。
私はそういった機器が悪意のある者によって悪用され、最悪の場合暴走して社会の安全を脅かす事件が起きるのではないかと懸念している。そういった事件が起こらないためにも今は頑張って仕事をしたい。
そう実感した一日でございました。
これからのためのメモ。
・杉原さんに関してさらに調べていくこと。
・情報セキュリティがどう政治と結びついていくのか考察すること。
・これからのブログのテーマとして、自分の考えを掘り下げていくような内容にしていくこと。
1940年頃にリトアニアで駐在されていた外交官の方であります。
その時代にナチス・ドイツのゲルマン民族至上主義を掲げたヒトラー政権によって
収容所に強制連行され虐殺されていたユダヤ人が、他のヨーロッパ諸国に亡命していたのですが
リトアニアもその行き先のひとつでありました。彼らユダヤ人にとっては、一刻も早くヨーロッパ
諸国がナチスドイツや、のちにドイツと敵対することになるソ連の占領下に置かれる前にヨーロッパ
を脱出せねば虐殺されてしまう運命にありました。他国に逃れようにもビザが発給されていなければ
国境を渡ることができません。そのユダヤ人難民たちに救いの手を差し伸べたのが杉原千畝さん
だったのです。杉原千畝さんは、外務省から許可がおりていないにも関わらず独断でそのユダヤ人難民たちに日本を経由してアメリカに亡命させるためのビザを発給し続けました。それは杉原さんが、ソ連に命じられて立ち退きをする際にのった電車が出発する駅のプラットホームでも行われていたのです。
外務省の命令に背いて大量のユダヤ人を日本に送ったために、杉原さんは外務省を追われる身となります。9千人の命を迫害から救ったのにも関わらず、外務省は杉原さんを免職いたしました。しかし、正しいことをした人の行いは必ず報われます。杉原さんリトアニアでビザを発行してから28年後、1968年に自らビザを発給して命を救ったユダヤ人のニシュリという方と再会を果たしました。ニシュリさんは杉原さんから発行された一枚の紙きれ、ビザを大切にそれまでとっていたのです。二人は涙の再会を果たし、翌年の1968年に杉原さんはユダヤ人国家・イスラエルに招聘され「諸国民の中の正義の人」という勲章を頂きました。これは一人でも命を救った人に贈られる勲章であり、日本人としてその勲章を贈られたのは杉原さんしかいません。
アメリカの大学に5年間在籍し、世界平和のために貢献していきたいという思いで
国際政治をひたむきに勉強し、バングラデシュでインターンをしてフランスで留学
していた経験から、どうしたら日本人として他の国々のために行動していけるのだろう
と考えていました。
昨年の2015年5月に大学を卒業して、日本に帰ってきてからは国際政治に関する情報収集も
もっぱらやっておらず、日本での生活に慣れ切ってしまったのかドラマを見たらバラエティを見たり
と生活しておりました。決してそれをすることが悪いということではなくて、私にとっては
それまでの熱意を少し頭の片隅の奥のほうにおいてしまっていたために、どうしたらお金持ちに
なれるのか、とかどうしたらもっといい暮らしができるのだろうか、とか考えていました。
今回映画を見たことで、自分が何を成し遂げたいのか。どういった力を磨いてどのようにして
世界平和のために貢献していけるのか、改めて再認識いたしました。できるだけ多くの時間を、偉大なる目的の達成のために割いていかねばならない。自分にとって最良の決断をしていけるように磨いていかねばならない。
現在は、情報セキュリティを扱う技術者として仕事をしています。
まだまだ見習いですが、その業界のこれからの可能性と、自分が高校時代に人生の師と
した「皆が安心して暮らせる社会を作りたい」と心に決めたことを達成するために選びました。
これからの時代はすべてのものがITにつながれていく。
パソコンや携帯だけじゃなく、いまや車も、性能はまだまだであるがロボットも開発されている。
下町ロケットで取り上げられていたように人工心臓といった機器が体に埋め込まれ、またそれが
さらに小型化された機器が体内に入っていくことであろう。
私はそういった機器が悪意のある者によって悪用され、最悪の場合暴走して社会の安全を脅かす事件が起きるのではないかと懸念している。そういった事件が起こらないためにも今は頑張って仕事をしたい。
そう実感した一日でございました。
これからのためのメモ。
・杉原さんに関してさらに調べていくこと。
・情報セキュリティがどう政治と結びついていくのか考察すること。
・これからのブログのテーマとして、自分の考えを掘り下げていくような内容にしていくこと。
2016-01-10 01:20
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